大判例

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大阪地方裁判所 昭和59年(モ)8632号 決定

申立人

濱田耕助

ほか四七五名

申立人ら訴訟代理人

関田政雄

ほか七二名

相手方

阪神高速道路公団

合同製繊株式会社

ほか九社

主文

一  別紙申立人目録記載の申立人らのうち、主文第二項記載の申立人らを除くその余の申立人らに対し、いずれも訴訟上の救助を付与する。

二  申立人⑦、浦島貞治、同堂半平、同堂登喜子、同八木なつ子、同東肇、同犬伏フジコ、同加藤まる、同白井憲次、同津田さだ、同平原マツコ、同間形宗弘、同間形房恵、同松下幸子、同満園育美、同森本カメノ及び同八木イワの本件各申立を却下する。

理由

第一申立人らの申立の趣旨及び理由

一訴訟救助制度の趣旨

憲法三二条は、「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定し、国民の裁判を受ける権利を保障している。

ところで、今日における訴訟の実際においては、訴訟遂行のためには多大の時間と費用を要すること、とりわけ公害訴訟においてこのことは顕著な事実である。しかしながら、経済的な余裕がないことのゆえに、あるいは相手方たる国、公団、大企業等との圧倒的資力格差のゆえに、被害住民らが訴訟を断念せざるを得ないとするならば、これら被害住民にとつて憲法三二条の規定は全く無力な規定となるばかりか、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利を保障した憲法二五条、さらには「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保障した憲法一三条の理念すら無視される結果となるのである。それゆえに憲法三二条の規定は、憲法二五条、一三条の権利の実現を手続的に保障するものと解されなければならず、単に国民の裁判を受ける権利を形式的に保障したにとどまらず、実質的にも保障したものと解さなければならない。

そして、民事訴訟法一一八条以下に定める訴訟救助制度は、国民の裁判を受ける権利を実質的に保障した憲法三二条を裏づけ、具体化した国民の権利としての制度として理解されなければならない。

現行憲法下における訴訟救助制度を右のように理解すれば、訴訟救助制度を救貧的、恩恵的なものとして理解することが許されないことは当然である。民事訴訟法一一八条以下に規定された現行訴訟救助制度は、救助の物的範囲が極めて限定されていることにみられる如く、極めて不充分なものであるが、現行制度の解釈、運用にあたつては、前記国民の裁判を受ける権利の実質的保障という憲法上の要請に沿つて、国民の当然の権利として積極的に解釈、運用されなければならないのである。

二申立人らの本訴請求は、「勝訴の見込みなきに非ざる」ものである。

申立人らは、相手方会社十社が西淀川区や隣接する此花区、尼崎市、堺市で操業中の発電所、工場等から国の環境基準を超えて排出する二酸化窒素、浮遊粒子状物質、二酸化硫黄など健康に障害を与える大気汚染有害物質と相手方国、阪神高速道路公団が管理する国道二号線、同四三号線、阪神高速道路大阪池田線、同大阪西宮線を通行する車両から排出される二酸化窒素、浮遊粒子状物質などの有害物質による複合大気汚染により、呼吸器系の公害病にり患したとして、右の有害物質の一定量を超える申立人ら居住地区内への排出の差止め及び損害賠償を求めるものである。

本訴請求は、これに先立ち、昭和五三年四月に申立人ら以外で呼吸器系の公害病にり患し或いは死亡した患者らが提訴した訴訟(大阪地方裁判所昭和五三年(ワ)第二三一七号)と同様の内容であつて、いわば第二次訴訟である。本訴請求は、相手方らにおいて、第一次訴訟を提起された後においても、なお、侵害行為を継続し、一貫して誠意ある施策を怠つてきた必然の結果として提訴されたものである。

したがつて、申立人らの本訴請求は、勝訴の見込が確実である。

三申立人らは、「訴訟費用を支払う資力なき者」に該当する。

1  民事訴訟法一一八条にいう「訴訟費用を支払う資力なき者」の解釈にあたつては、特に次の諸点を考慮すべきである。

(一) 訴訟費用を支払う資力の有無の判断は、裁判費用のみならず当事者費用、訴訟遂行上必要とされるその他一切の費用を含めた総裁判費用と相関的に判断されなければならない。

民事訴訟法一一八条に定める「訴訟費用」の範囲は、同法一二〇条の定める訴訟救助の対象となる裁判費用等に限られず、民事訴訟費用等に関する法律に定める訴訟費用(当時者費用をも含む。)を意味することについては、今日争いがない。

しかしながら、同法では実際に訴訟を遂行するうえで要する費用のうち、訴訟費用とされる範囲を極めて限定しており、訴訟遂行のための調査・研究・資料収集等に要する費用や弁護士費用はその中に含ませていないのである。ところで、当事者主義をとる現行民事訴訟制度のもとでは、当事者の周到な準備活動は不可欠であること、とりわけ争点が多岐にわたり在来の知識では賄いきれないこと明らかな本訴のごとき訴訟にあつては、その準備・調査・研究・資料収集等に多額の出費を要し、かつ弁護士への委任なくして訴訟の維持ができないことは顕著な事実である。このことは第一次訴訟の経過の中でも明らかとなつている。大量の資料の収集とその分析、解析更には広範囲にわたる科学的な知見の集約なくしては訴訟の維持そのものが困難である。

したがつて、資力の有無の判断にあたつては、裁判費用、あるいは狭義の訴訟費用について当事者に支払能力があるか否かを基準とするのではなく、当事者に総裁判費用を支払う能力があるか否かを基準にしなければならない。このように解さなければ、当事者は法定の裁判費用を支払つたために、訴訟遂行上不可欠な裁判準備費用を支払うことができず、充分な訴訟活動ができないため敗訴するという訴訟救助制度の趣旨を没却する結果を招来するのである。

(二) 訴訟費用を支払う資力の有無の判断にあたつては、総裁判費用を負担することにより、その職業、階層に属する人間として通常考えられる生活水準を害することなく訴訟を遂行することができるか否かを基準として判断されなければならない。

憲法は、裁判を受ける権利を国民に実質的に保障しており、かかる実質的権利の保障として訴訟救助制度を理解するときは、それは憲法二五条の趣旨よりして、従来の実務の運用にみられるごとく「貧困で自己及び家族の生活を害するのでなければ訴訟費用を支払うことができない状態」において初めて訴訟救助が与えられるといつた救貧的性格をもつてとらえられるべきではなく、正当な権利の救済を求めることによつて「健康で文化的な最低限度の生活」すなわち人間としての尊厳にふさわしい生活が失われることがあつてはならないことを意味するものと理解されねばならず、しかも総裁判費用が膨大な額に達する場合には、これら総裁判費用との関連において、市民としてのあるべき生活水準を越える者に対しても等しく訴訟救助が与えられるものでなければならない。

申立人らが、本訴の費用を負担した場合には、その職業階層に属する人間として通常考えられる生活状態を維持することはできない。申立人らは、大気汚染による健康被害を蒙つて以来、家族全体に及ぶ生活被害を蒙つてきたものであつて、既に通常考えられる生活程度すら維持できない状態に追いこまれているのである。このような申立人らに対して形式的に訴訟費用の負担を命ずることは、まさに訴訟全体を断念せよというに等しいものであることは明らかである。

(三) 訴訟費用を支払う資力の有無は、相手方当事者の資力と相対的に判断されなければならない。

本訴の相手方は、国、公団ならびにわが国有数の大企業であり、これら相手方と申立人らとの資力格差の存在は一見明らかである。ところで、当事者主義、弁論主義をとる現行民事訴訟制度のもとにおいては、結局、十分な準備活動と立証活動をなした当事者が勝訴を得ることとなる。したがつて、一方の当事者が他方の当事者に比して著しい資力の格差を有する場合、資力の劣る当事者は、そのことの故にそれだけ不利な立場に立たされることとなるのである。憲法三二条が規定する国民の裁判を受ける権利を実質的に全うし、実質的な当事者対等の原則、武器平等の原則をつらぬくためには申立人らに対して十分な訴訟活動を保障することが不可欠であり、そのためには、無資力要件の判断にあたつては相手方当事者との資力を対比し、その訴訟遂行能力に著しい格差が生じないように配慮する必要があるのである。

本訴における相手方らは、国、公団、ならびに有数の大企業であり、その資力の点において、申立人らと圧倒的な格差を有することはおのずから明らかである。そのうえ相手方らは、その資力、巨大な機構、豊富な資料に依拠して十分な調査研究をなし、万全の訴訟準備を整えることが可能であるのに比し、申立人らは前述のごとき膨大な費用負担に耐えたうえ余裕のある生活を営むことは到底考えられず、著しい当事者不対等の現実が存すること明らかである。

(四) 訴訟費用を支払う資力の有無は、勝訴の可能性との相関関係において判断されなければならない。

現行訴訟制度においては、訴訟提起あるいは証拠申出等の際に、その費用を申立人に予納させることを建前としているが、これは主として不誠実な訴訟遂行を防止する趣旨によるものであり、訴訟費用は終局的には敗訴当事者の負担に帰すべきが、民事訴訟法の大原則である。

したがつて、訴訟救助の審査においては、勝訴することが一〇〇パーセント確実であれば申立人の資力の点について判断するまでもなく訴訟救助が与えられるべきものであるとともに、勝訴の見込みの蓋然性が高いと判断される場合には、資力の要件につき一律に厳格な判断をすることなく訴訟救助を付与することができるものといわなければならない。ようするに、資力の有無の判断は、勝訴の見込みとの相関関係に立ち、勝訴の見込みの蓋然性が高ければ高いほど、資力の要件は緩和して判断されなければならないのである。

(五) 本訴における訴訟救助については、申立人らについて個別的に資力の有無を判断することは不適切であり、申立人ら全体を一体として判断し訴訟救助が付与されるべきである。

申立人らは、いずれも相手方らの侵害行為によつて被害を蒙つてきたものであるが、その被害救済の願いは申立人らのみならず西淀川区の被害住民全体の願いである。したがつて、従前のさまざまな直接交渉を含め、本訴の準備、本訴の維持は、すべて個人としてではなく「患者会」全体の活動として取り組まれてきた。本訴のごとき複雑かつ大規模な訴訟にあつては、右のごとき組織体、運動体をとることは不可欠であることは容易に理解されるところであろう。

このように、申立人らは、患者会の代表者としての「原告団」と位置づけられたうえ本件二次訴訟を遂行するのであるから、その資力の有無の判断にあたつても、申立人個々の資力判断は不要であり、原告団全体として訴訟費用を負担しうるか否かを判断しなければならず、かつ既に述べた諸点を考慮するならば、当然に申立人ら全員に対して全面的な訴訟救助が付与されなければならないのである。

(六) 民事訴訟法一一八条にいう「訴訟費用を支払う資力なき者」を判断するについて、この資力判断の対象は、あくまで申立人本人に限られるべきであつて、家族・親族等の資力は考慮されるべきではない。

(1) 申立人(原告)が、家族の一員である場合

妻が申立人である場合の夫の資力、あるいは父・母が申立人である場合の成人の子の資力、その他扶養義務ある親族等の資力は、考慮すべきではない。

この点を明らかにした代表的なものとして、イタイイタイ病抗告審決定がある。すなわち、同決定は、「申立人の個人的な訴訟のための費用の如きは、一般に親族間の身分関係維持のための結合、共助に直接奉仕するものではないから夫婦間における協力、扶助義務、又は婚姻費用負担義務、親族間の扶助義務等の履行として、その負担又は立替を要求することはできないものであり、したがつて特段の事情の認められない限り申立人とこれら親族との間に訴訟費用や必要経費の支弁を求めるべきであるとして、これらの者の資力を斟酌考慮するのは相当でないと解される。」と述べている。

夫婦その他同居親族において経済的な生活基盤を共通にすることは、通常見られるところではあるが、これは日常生活を営む範囲内の問題であつて、訴訟提起は、右の如き生活基盤に由来するものではなく、場合によつては、夫の反対を押し切り妻が原告団に参加する等、家族の中の一員としてではなく、まさしく個人として訴訟提起に至るものであることを忘れてはならない。

右事情に照らせば、前記決定の判断及びその理由はまさしく正当であり、これとは逆に、本件において、家族の資力をも考慮して資力の有無を判断することは、およそ本件事件の特殊性の理解の欠如といわざるを得ない。

なお前記決定と逆に、家族の資力をも考慮する旨の決定もいくつか見られるところであるが、この点について論述した論稿においては、そのほとんどが、前記決定の立場を支持している。すなわち、「申立人が彼自身無資力である場合、家族(親権者たる者も含めて)資力(扶助義務の履行も含めて)でもつて、補充し、資力ありと判断することはいかなる意味でも許されない。」とか、「本件決定が新しく打ち出した判示事項は、救助申立人が妻、父又は母である場合のことである。すなわち妻が申立人の場合の夫の資力、父又は母が申立人の場合の成人の子の資力、その他扶養義務ある親族の資力までも考慮すべきではない、ということであり、この判示事項が本件の特色の一つであるということができる。その根拠としては、本件決定理由の判示しているところは正当である。」とか、「右決定が未成年の子と親の場合以外の親族間では、扶養義務者の資力は斟酌すべきでないとした点は、その理由とともにまつたく正当であると考える。」と述べられているのである。

(2) 申立人(原告)が未成年者である場合

前述のイ病抗告審決定は資力の有無を判断するについて、未成年者と親権者との関係については、これを特別視し、「右資力の有無は原則として申立人本人について判断すべきであるが、申立人が未成年の子である場合は、親権者の資力をも斟酌考慮すべきである」とし、その理由として「親権者は未成年の子の財産を管理し、又その財産に関する法律行為についてその子を代表するものであり、従つて未成年の子を当事者とする訴訟においては、親権者が法定代理人として自己のためにすると同一の注意義務をもつて訴訟を遂行することができる点に照らせば、当該訴訟における訴訟費用や必要経費は親権者自身の資力をもつてこれに充て後日精算する方法をとることは充分に可能であり、むしろ財産管理権行使の方法としては妥当と解される。」と述べている。

しかしながら、右判断は、「他の扶養・扶助義務者の資力を考慮しないこととの不調和はぬぐいきれないであろう。」との指摘がなされているとおり、不徹底なものといわざるを得ない。

又、理論的に考えてみても、親の財産管理権は「子の財産を管理し、又その財産に関する法律行為についてその子を代表する」機能(民法八二四条)であつて、財産管理権の行使にあたつては、「自己のためにすると同一の注意」義務を負うにとどまる(民法八二七条)のであるから、親が子の訴訟のための必要諸経費を立て替える法律上の義務は何ら存在しないのであり、右決定は、「なぜ立替払いをしなければならないのかの説明に欠けている。」との批判を免れない。

更に、「親権者が法定代理人として自己のためにすると同一の注意義務をもつて訴訟を遂行することができる」からといつても、訴訟による効果は、あくまで未成年たる子に直接帰属するのであつて、親はあくまで子を代理するにすぎず、子の訴訟のための必要諸経費の負担を自らなすべき義務はこの点からも導かれないのである。ましてや、親権者が「後日精算する方法をとることは充分に可能である」からといつて、親権者が子に代わつて立替払いをしなければならないとは到底いえないことは明らかである。

また、逆に考えれば「子から親に対し、財産管理義務あるいは扶養義務の履行として訴訟費用等の支払を請求できないことは他の親族間の場合と同様」であることは明らかであろう。けだし訴訟費用は、親族間の身分関係維持のための結合共助に直接奉仕するものではないからである。

以上のように、申立人が未成年の場合、親権者の資力を考慮すべきという考え方には何らの法的根拠がなく、従来実務上これを考慮した事例については、「家団論的心情のなごり」によるものというべきであろう。

(七) 民事訴訟法一一八条にいう「訴訟費用を支払う資力なき者」を判断するについて、申立人らの所有不動産や公害健康被害補償法による補償給付については参酌されるべきではない。

(1) 所有不動産について

申立人及びその家族の保有不動産とはその住所地に於けるもので、正に住居として使用されているものである。このような生存権的不動産を訴訟救助の判断の対象にしろということは、このような生存権的不動産を売却ないし、担保に入れて訴訟費用をつくるのが当然で、それでも訴訟費用が捻出できない時はじめて「無資力」と判断されるということを前提としている。しかし、このような解釈がまかり通るなら、公害訴訟は事実上圧殺されることになりかねない。とくに、本件のように長年に亘つて、激甚な大気汚染に苦しめられ、その生活能力、労働能力を相当程度侵害されてきた申立人らに対し、唯一のよりどころであるその住居をも売却ないし担保に入れることが強要されるとしたら、その生活は、根底から破壊されることになる。そしてそれは、憲法第二五条の生存権をもおびやかすことになることは明らかである。

(2) 公害健康被害補償法による補償費について

公害健康被害補償法による補償費もこれを考慮に入れてはならない。

公害健康被害補償法により支払われている補償費は、基本的に汚染者負担の原則により損害の賠償として支払われるものであり、これを収入とするのは明らかに誤りである。即ち、補償費は、大気汚染より、疾病に陥つた者に対し、その疾病による労働能力の喪失分の一部を填補するものとして支払われているもので、あくまで疾病によるマイナスを一部回復するものとして考えるべきで、これをもつて収入と見ることは許されないのである。しかも、現実にはこの補償費は入・通院雑費、転地療養費、体力増強のための経費、買薬等に消費され、疾病による損失分をカバーするにも足りず、申立人らの生活が困窮に陥つているのである。

四結論

以上のとおりであるから、申立人らはすべて民事訴訟法第一一八条にいう「資力なき者」に該当し、かつ申立人らの請求は「勝訴の見込みなきに非ざるもの」であるから、申立人らに対しいずれも訴訟上の救助を付与するとの裁判を求める。

第二当裁判所の判断

一まず、申立人らの本訴請求が「勝訴の見込みなきに非ざる」ものであるかどうかについて判断する。

一件記録によれば、本訴請求において、申立人らは、相手方会社十社が、西淀川区や隣接する此花区、尼崎市、堺市で操業中の発電所、工場等から国の環境基準を超えて排出する二酸化窒素、浮遊粒子状物質、二酸化硫黄など健康に障害を与える大気汚染有害物質と、相手方国、阪神高速道路公団が管理する国道二号線、同四三号線、阪神高速道路大阪池田線、同大阪西宮線を通行する車両から排出される二酸化窒素、浮遊粒子状物質などの有害物質による複合大気汚染により、呼吸器系の公害病にり患したとして、右の有害物質の一定量を超える申立人ら居住地区内への排出の差止め及び損害賠償を求めるものであること、本訴請求は、これに先立ち、昭和五三年四月に、申立人ら以外で呼吸器系の公害病にり患し或いは死亡した患者らが提訴した訴訟(大阪地方裁判所昭和五三年(ワ)第二三一七号)と同様の内容であつて、いわば第二次訴訟であることが明らかである。したがつて、本訴請求は、右事案の性質から、医学上、理学上の専門領域に深く関わりあつている問題に関するものであるということができる。そして、疎明によれば、申立人らは、いずれも大阪市西淀川区に現在ないし、かつて居住し、慢性気管支炎、気管支喘息又は肺気腫等の呼吸器系の疾病にり患し、公害健康被害補償法による認定を受けたものであることが認められる。

したがつて、本訴請求は、勝訴の見込みがないとはいえないことが一応認められる。

二そこで、次に、申立人らが、「訴訟費用を支払う資力なき者」にあたるか否かについて検討する。

1  まず、無資力の判定基準に関する申立人らの主張について検討する。

(一) 申立人らは、右資力の有無の判断は、裁判費用のみならず、いわゆる当事者費用、訴訟追行上必要とされるその他一切の費用を含めた総裁判費用と相関的に判断しなければならないと主張する。

しかし、民事訴訟法一一八条にいう資力の有無は、同条にいう訴訟費用の額との関係で相対的に検討されるべきものであるが、右にいう訴訟費用とは同条により訴訟救助が与えられると、その納付を猶予される訴訟費用をいうものと解するのが相当であり、同法一二〇条一号によれば、訴訟費用のうち裁判費用、すなわち民事訴訟費用等に関する法律に規定された訴訟費用のうち申立の手続料(訴状、控訴状等に貼用すべき印紙代)、証人、鑑定人等の旅費、日当、鑑定料等の費用等がこれに当たるものである。したがつて、申立人の主張は採用し得ない。

(二) 申立人らは、総裁判費用を負担することにより、その職業、階層に属する人間として通常考えられる生活水準を害することなく訴訟を追行することができるか否かを基準として判断すべきであると主張する。

しかし、民事訴訟法一一八条にいう訴訟費用を支払う資力の有無は、先に述べた意味における訴訟費用を支払うときは、自己及びその家族の平均的生活(国民の一般的水準)に支障をきたすか否かを基準として判断すべきであると解するから、申立人らの主張は採用し得ない。

(三) 申立人らは、資力の有無は、相手方当事者の資力と相対的に判断すべきであるとか、勝訴の蓋然性が高い場合には、無資力の要件を緩和すべきである旨主張する。

しかし、訴訟救助は、無資力者に対する国の救助制度であつて、相手方の資力と対比して相対的に劣る者を経済的に援助するものではないから相手方の資力の有無を参酌さるべきでないといわざるを得ないし、民事訴訟法一一八条但書の規定から明らかなように勝訴の見込みが訴訟救助の独立の要件とされていることから考えても、資力の有無の判断にあたつては、本案訴訟についての勝訴の蓋然性も参酌すべきではなく、申立人らの右主張はいずれも採用し得ない。

(四) 申立人らは、本件訴訟救助について、本件の本案訴訟のごとき複雑かつ大規模な訴訟にあたつては、原告団という集団として取り組まざるを得ないことなどを理由に申立人ら全体を一体として判断し、訴訟救助が付与されるべき旨主張する。

しかし、現行法が訴訟救助について属人的に規定していることは、民事訴訟法一一八条以下において明らかであるし、本案訴訟の当事者は個人であり、訴訟救助の対象となるのは個々の申立人であるから、右主張も採用し得ない。

(五) 申立人らは、資力の有無の判断にあたつては、申立人の家族、親族等の資力を考慮すべきではないと主張する。

しかし、申立人と生計を同一にする家族がある場合は、その収入を加えて判断するのが相当であり、これと異なる申立人らの主張も採用し得ないところである。

(六) 申立人らは、無資力の判断にあたつては、申立人らの所有不動産や公害健害(ママ)被害補償法による補償給付については参酌されるべきでないと主張する。

一件記録によれば、申立人ら及びその家族の中には、不動産を所有している者が存在することが認められる。しかし、右不動産はいずれも申立人らの住所地に存在する土地又は、建物であつて、自己及び家族の生活を維持するのに必要不可欠なものであり、これを処分換金するときは、申立人らの平均的生活を害することになると認められるから、資力の有無の判断にあたつては、申立人らの主張するように、右不動産の価額は考慮しないのが相当である。

また、一件記録によれば、申立人らの大部分は、公害健康被害補償法により、障害の程度に応じ、年間二〇万円から一七〇万円程度の障害補償費の給付を受けていることが認められる。しかし、右申立人らは、いずれも同法所定の指定疾病のため健康体の人に比して、入通院雑費等において、右障害補償費を超える多額の生活費の出費を余義なくされていることが容易に推認しうるから、障害補償費についても、資力の有無の判断にあたつては考慮しないこととするのが相当である。

2  以上の見地にたつて、申立人らが訴訟費用を支払う資力がない者に当たるか否かについて判断する。

(一)  総理府統計局の家計調査年報(昭和五八年版)による人口五万人以上の都市における勤労者の一世帯(人員数三・七五人)当たりの平均年収は四八九万九四五六円(月収四〇万八二八八円)であることが認められる。そこで、これを参考にした上で、本件訴訟が大気の複合汚染に対する差止請求並びに金銭賠償を求めるものであつて、証拠調のために相当多額の費用を要することが予想されることを考慮し、先に判断した無資力の判定基準に従つて一応の最低基準を導くと、家族が四人までの申立人については年収五〇〇万円、もつとも、家族が四人までの申立人であつても、その内に二人以上の申立人が含まれているときには、前記訴訟費用においても倍額以上の支出を必要とすることから、年収六〇〇万円とするのが相当である。したがつて、他に特段の事情のないかぎり、年収が右の金額を下回るものは「訴訟費用を支払う資力なき者」に該当し、上回る者はこれに該当しないとみるのが相当である。

(二) 以下、前記基準を超える収入額があるか否かにつき疑義のある申立人については収入額を、前記基準を超える収入額のある申立人については特段の個別事情の有無を各申立人らについて検討すると、疎明資料により以下の事実を認めた上で、以下の判断をすることができる。

(1) 申立人①の濱田耕助は、昭和五八年度に給与所得者として年収七五五万二七四三円を得ており、同居の妻も給与所得者として昭和五八年度に年収五〇六万八八四五円を得ている(合計一二六二万一五八八円)。しかし、同申立人の同居の家族数は四人であり、同申立人及び妻はいずれも昭和五九年中に退職し、年金として年間一二〇万円を得るにすぎず、将来にわたつて安定した収入を望めない状況にある。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(2) 申立人③井上オエツは、本人としては収入が無いが、三人家族で家族の内、昭和五八年度には、茂が年収三八七万九九三五円、百合子が年収三二九万五六三二円をそれぞれ得ている(合計七一七万五五六七円)。しかし、茂及び百合子は、いずれも昭和五八年度から同五九年にかけて停年退職し、現在では、茂が厚生年金として年二三〇万円、百合子が嘱託労働者として年収二〇〇万円を得ているにすぎない状況にある。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたると認められる。

(3) 申立人の⑦浦島貞治は、昭和五八年度に年収二三七万三八〇〇円を得ており、三人家族で、妻マサヲは年収一六〇万八九七四円、長男澄男は年収五六八万八七〇〇円をそれぞれ得ているところ(合計九六七万一四七四円)、他に無資力と認めるに足りる特段の事情を考慮するに足りうる疎明がない。したがつて、同申立人は訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(4) 申立人⑲片山康子と、その三男である申立人片山亨は、いずれも収入が無く、住民票上は、康子の長男諭、その妻由美子とも同居していることとなつているが、実際は、康子の夫良幸と二男真との四人家族であり、良幸が年収三九二万四〇〇〇円、真が年収一〇三万二二五六円を得ているにすぎない(合計四九五万六二五六円)。したがつて、前記基準から、申立人⑲片山康子、同片山亨は、いずれも訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(5) 申立人小林進は、高校二年生であつて同居の父母に扶養されており、父忠雄は、昭和五八年度に年収三六五万三八〇〇円、母サヨ子は、年収二五一万八九五四円をそれぞれ得ている(合計六一七万二七五四円)。しかし、同申立人は、父母のほか中学二年生の妹を含む四人家族であり、父忠雄は、昭和五九年九月に人員整理のため退職し、将来安定した収入を望めない状況にある。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(6) 申立人高石磯枝は、本人としては収入がないが、同居の家族である長男新一郎は、昭和五八年度に年収五三三万八九三六円を得ている。しかし、同申立人は、六人家族であり、新一郎は未成年の子三人(一八歳、一四歳、一一歳)をかかえ、金融機関にも一〇〇〇万円の負債を有し、年間一三〇万円の返済を余儀なくされている。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(7) 申立人堂半平と同堂登喜子は、いずれも収入がないが、住民票上はともかく、五人家族であつて、長男稔は、昭和五八年度に年収四三三万四四八六円、稔の妻利子は年収二五九万六八〇〇円、同人らの長男利彦は年収二〇四万六六四〇円をそれぞれ得ている(合計八九七万七九二六円)。してみれば、同申立人らは、家族内に申立人が二人いることを考慮しても、なお訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(8) 申立人西野ヨシ子は、昭和五八年度に給与所得として年収七二万円、給与外所得として年収四〇万三二〇〇円を得ている。同申立人は、住民票上では、六人家族として、二男孝とその妻智恵子と同居していることとなつているが、実際には、七男の修夫婦と同居しており、修は、年収二八八万一六八〇円を得ているにすぎない(合計四〇〇万四八八〇円)。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(9) 申立人八木なつ子は、昭和五八年度に年収二一万六九一〇円を得ていたにすぎないが、四人家族であつて、夫国雄が年収一九九万四八五六円、長女ますみが二三一万九二三九円、次女ゆかりが年収一九一万一三七六円をそれぞれ得ているところ(合計六四四万二三八一円)、他に無資力と認めるに足りる特別の個別事情を考慮するに足りる疎明がない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(10) 申立人山中昊は、昭和五八年度に年収一五〇万三七〇〇円を得ているに過ぎないが、同居の家族である長男健一は、年収四二六万三九一七円を得ている(合計五七六万七六一七円)。しかし、同申立人は、六人家族であり、健一は、二人の子供(一三歳、一二歳)をかかえ、金融機関にも二二〇〇万円の負債を有し、年間二一八万円の返済を余儀なくされている。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(11) 申立人善積キリ子は、三人家族で、昭和五八年度に給与所得として年収三六〇万円、給与外所得として年収一四五万七二五〇円を得ているほか、同居の家族である二男栄二も、年収一八九万二八二九円を得ている(合計六九五万七九円)。しかし、同申立人は、昭和五九年一〇月に退職したため、以後は、老齢年金として年収一二〇万円、亡夫の遺族年金として年収八一万円を得るにすぎず、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(12) 申立人東肇は、昭和五八年度に年収三三一万九五一五円を得ており、四人家族であつて、妻悦子が八七万七六三五円、長男繁範が二三六万四三三五円をそれぞれ得ているところ(合計六五六万一四八五円)、他に無資力と認めるに足りる特段の個別事情を考慮するに足りる疎明がない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(13) 申立人犬伏フジコは、収入がないが、三人家族であつて、四女邦子が昭和五八年度に年収四三八万八五〇〇円、四男博が三一五万七七六三円をそれぞれ得ているところ(合計七五六万六二六三円)、他に無資力と認めるに足りる特段の個別事情を考慮するに足りる疎明がない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(14) 申立人植田喜代子は、昭和五八年度に年収七四万五〇〇〇円を得ているにすぎない。同申立人は、住民票上は、六人家族として、息子の孝夫とその妻由美子とも同居していることとなつているが、実際は、夫と一六歳の娘の三人家族であり、夫の六夫が年収三八五万三四二三円を得ているにすぎない(合計四五九万八四二三円)。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(15) 申立人榎本フジエは、四人家族で、本人としては収入が無いが、同居の家族である長男修市は昭和五八年度に年収四二〇万円、その妻信子は年収一二〇万円をそれぞれ得ている(合計五四〇万円)。しかし、同申立人の夫は八〇歳で寝たきりであり、修一は金融機関に一七〇〇万円の負債を有し、毎月二〇万円の返済を余儀なくされている。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(16)申立人大塩清は、四人家族であり、本人としては収入が無いが、同居の家族である二男博は昭和五八年度に年収三一七万二四〇〇円、三男保は年収三一四万七六〇〇円をそれぞれ得ている(合計六三二万円)。しかし、同申立人は、二男、三男とは同居していても生活は別であり、二男の結婚による独立も近い状況にある。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(17)  大戸音吉は、住民票上は、六人家族で、長男一夫とその妻あつこと同居していることとなつているが、実際は、妻との二人家族であり、本人及び妻も収入が無いのであるから、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(18) 申立人加藤まるは、本人としては収入が無いが、同居の家族である息子の信行は昭和五八年度に年収五二一万三七二七円、その妻節子は年収三九五万六六六八円、孫の絹代は年収一一六万三七六六円をそれぞれ得ている(合計一〇三三万四一六一円)。同申立人が六人家族で、絹代が昭和五九年一〇月に退職し、二人の孫が高校生であることを考慮にいれても、なお年収合計九一七万三九五円となるから、同申立人は訴訟費用を支払う資力がない者にはあたらないというべきである。

(19) 申立人坂本悟士は、未成年で四人家族であり、同居の父母に扶養されているが、父生造は昭和五八年度に年収三四七万五〇〇九円、母繁野は年収一七〇万六八〇〇円をそれぞれ得ている(合計五一八万一八〇九円)。しかし、同申立人の父母は家屋のローンとして年間八〇万円の返済を余儀なくされているうえ、同申立人を含む二人の子供の教育費も要する状況にある。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(20) 申立人笹井トクノは、収入がなく、養子の弘夫婦と同居していたが、弘は昭和五九年に勤務先が倒産し、その後所在不明となり、弘の妻子は実家に戻つたままである。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということができる。

(21) 申立人佐々木愛子は、昭和五八年度に年収九九万円を得たが、五人家族であつて、息子暢綱は年収二六五万五五〇七円、その妻あや子は年収一九七万円をそれぞれ得ている(合計五六一万五五〇七円)。しかし、同申立人が五人家族であつて、暢綱が二人の子供(一二歳、九歳)をかかえて生活を維持していることを考慮し、同申立人は訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということができる。

(22) 申立人白井憲次は、昭和五八年度に年収一四一万〇五四九円を得ているが、五人家族であつて、妻美佐子は年収九〇万円、長女広子は年収一〇一万円、長男孝一は年収一〇八万円、二女孝子は年収二〇二万七八八八円をそれぞれ得ている(合計六四二万八四三七円)。そして、同申立人が五人家族であるということ以上に他に無資力と認めるに足りる特段の個別事情の疎明がない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(23) 申立人高橋松之助は、収入がないが、四人家族であり、長男和義は昭和五八年度に年収四四六万三七〇四円、孫の末子は年収一九〇万九三一〇円をそれぞれ得ていた。しかし、末子は、昭和五八年度一一月に退職し、現在は収入が無い。したがつて、同申立人は、前述の基準から訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(24) 申立人谷久三郎は、昭和五八年度に年収四九万四五〇〇円を得ていたが、六人家族であつて、長男健次郎は年収二七九万八四六四円、健次郎の妻金子は年収二四一万五六四六円をそれぞれ得ている(合計五七〇万八六一〇円)。しかし、同申立人が六人家族であることを考慮し、同申立人は訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということができる。

(25) 申立人津田さだは、収入が無いが、六人家族であつて、息子の安基は昭和五八年度に年収三四八万〇五〇〇円、安基の妻さち子は年収二六四万九〇八〇円をそれぞれ得ている(合計六一二万九五八〇円)。そして、同申立人が六人家族であることを考慮しても、なお、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(26) 申立人豊田鈴子は、昭和五八年度に年収一六二万円を得ているほか、夫の活美も年収三六七万二七九九円を得ている(合計五二九万二七九九円)。しかし、同申立人は六人家族であり、未成年の子供がいることを考えれば、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(27) 申立人畑中卯之助は、収入がない。同申立人は住民票上は七人家族で、二男の勇、その息子の勇次と同居していることとなつているが、実際は、長男義春と同居しており、義春は、昭和五八年度に年収二〇九万三九七円を得ているにすぎない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(28) 申立人濱田清江は、収入がない。同申立人は、住民票上は、三人家族で、夫と長男の弘治とも同居していることとなつているが、昭和五九年七月から弘治とは別居しており、夫の進は、昭和五八年度の年収三六五万五〇〇〇円を得ているにすぎない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(29) 申立人平原マツコは、収入が無いが、三人家族であつて、夫悌次が昭和五八年度に年収三四〇万七五〇〇円、長女里香が年収一六〇万四六七一円をそれぞれ得ているところ(合計五〇一万二一七一円)、他に無資力と認めるに足りる特段の個別事情を考慮するに足りる疎明がない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(30) 申立人船本ウノコは、収入が無く、長男一裕とは別居しており、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(31) 申立人間形宗弘は、昭和五八年度に年収四五九万三二三四円を得ており、申立人間形房恵は無収入であるが、同居の家族である同申立人らの長男昌弘は、年収二二一万一〇七七円を得ている(合計六八〇万四三一一円)そして、昌弘は、年間六五万四〇〇〇円の住宅ローンの支払を余儀なくされていることを考慮にいれても、なお申立人間形宗弘、同間形房恵はいずれも訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(32) 申立人松下ミチエは昭和五八年度に年収二四〇万九一六一円を得ていたが、二人家族で、夫の松雄は、同年度に年収三九七万五三四八円を得ていた(合計六三八万四五〇九円)。しかし、松雄は、昭和五九年四月に停年退職し、現在は無職であり、同申立人は、昭和五九年七月に停年退職し、その後、再雇用されているが、収入において前年度よりも二五パーセントも減少している。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(33) 申立人松下幸子は、昭和五八年度に年収二二二万八七三二円を得ているほか、夫の春吉も、年収四三二万五一一〇円を得ている(合計六五五万三八四二円)。同申立人は、四人家族で、高校二年生、中学一年生の子供をかかえているほか、住宅ローンとして年間一〇四万円の返済を余儀なくされていることを考慮にいれても、なお訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(34) 申立人満園育美は、昭和五八年度に年収四四六万五八五七円を得ており、三人家族で、父十二は年収三二〇万円、母芳枝は年収一五八万五二七円をそれぞれ得ている(合計九二四万六三八四円)。同申立人が未成年であり、芳枝が昭和五九年六月に退職し、現在は無職であり手足のしびれ等で通院加療中であることを考慮にいれても、年収は合計七六六万五八五七円であり、同申立人は訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(35) 申立人森本カメノは無収入であるが、五人家族であり、三男の利則は昭和五八年度に年収四二一万七八三一円、その妻志津子は年収二一一万八二〇〇円をそれぞれ得ている(合計六三三万六〇三一円)。同人らが子供二人(一七歳、一五歳)をかかえ、教育費として月平均六万円を要することを考慮にいれても、同申立人はなお訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(36) 申立人八木イワは、収入がないが、五人家族であつて、長男信義が昭和五八年度に年収四〇五万四〇〇〇円、四女二三子が年収三〇五万一〇〇〇円をそれぞれ得ているところ(合計七一〇万五〇〇〇円)、同人が五人家族であるということ以上に、他に無資力と認めるに足りる特段の事情を考慮するに足りる疎明がない。したがつて、同申立人は、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということはできない。

(37) 申立人和田千代子は、無収入であるが、五人家族であり、三男の満は昭和五八年度に年収二四八万八八七三円、その妻照代は年収二八一万二〇五九円をそれぞれ得ている(合計五三〇万九三二円)。しかし、同人らは住宅ローン、教育費としてそれぞれ年間一二〇万円。合計二四〇万円の支払を余儀なくされている。訴訟費用を支払う資力がない者にあたるものと認められる。

(三) その余の申立人らについては、いずれも、前記基準を下回り、一応、訴訟費用を支払う資力がない者にあたるということができる。

三以上のとおりであるから、主文第一項記載の申立人らに対しては、いずれも訴訟上の救助を付与し、主文第二項の記載の申立人らの本件各申立は、これを却下することとして、主文のとおり決定する。

(福永政彦 森 宏司 神山隆一)

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